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日本の司法制度の、構造的欠陥を考えるきっかけになれば幸いです。

 傾いた天秤

―国労採用差別事件を中心に―

 

田中 宏

はじめに
 我々実務家は何のために判例研究をするのか。成文法があっても、それを肉付けするのは判例であり、その蓄積が生ける法である。生ける法を知ることなく具体的事件において法の解釈適用を適正に行うことはできない。弁護士が依頼者に提供する法的サービスを十分なものたらしめるためには、成文法がどうなっているのかだけでなく、その判例による運用をよく研究し精通していなければならない。紛争の着陸点を予測するためである。ABAのModel Rules of Professional Conductは、弁護士は有能で(competent)、迅速で(prompt)、誠実で(diligent)なければならないと定めている 1が、その有能さは、まず十分な法的知識を要求している。そして、次に、その知識を縦横に駆使するスキルを要求している。まずもって生ける法を知ることが大事である。法の解釈適用を主業とする弁護士にとって、観念的で概念的な法は役に立たないとまでは言わないが、十分でない。また、法の具体的適用の場における有能さは、判例を知っているだけでは足りない。定型的な法解釈、法的価値判断が求められる場合は、稀でかえって少ない。派生的な事象をどう解釈に組み入れるのか。判例は、どう言っているのか。その背景となっている裁判官たちの考え方は、どんなものか。これらを知らずして、実務では有能な代理人となれない。知るだけでは足りないのである。派生的な事象を考え、法をどう解釈するのかの癖を身に付けることが重要である。他方、同じ裁判規範の下で、裁判官はどう考えどう判断するのかの予測も劣らず重要である。それができなければ、裁判の帰趨の見通しも立たない(訴訟戦略が立てられない)。我国では、先例拘束性が認められておらず、裁判官は、先例に従うことなく、先例と相違した法的価値判断を示すこともある。しかし、判例違反は、上告理由(刑事)や上告受理申立理由(民事)となっていることや私が受けた研修所教育の中で、最判の事実上の拘束性を強調する裁判官教官がおられた。「その事件が将来最高裁に係属したならば最高裁が下すであろう法解釈」を考えよと教えら
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1 ⑴ABA Model Rules of Professional Conduct (2004Edition)10頁
 ⑵田中宏「弁護士のマインド」(2009年・弘文堂・22頁)
 
れた 2。その呪縛というか心理的締め付け効果は大きかった(今はどう教えられているのか分らない)。任官した裁判官たちが、最判に従うこと、最判を意識することが栄達に繋がると考えるのも自然であった。本来独立しているべき裁判官の判断が目に見えないところで統制されていたのである。独立と統制の兼ね合いの中で、裁判の結果を予測しなければならない。そのためには、どんな事実が定型的で、どんな事実が派生的なのかを日頃から研究しておかなければならない。その訓練の場が判例研究なのである。Inns of Courtにおいて先例のmaterial factとobiter dictumをdistinguishするスキルを教えているのと似ている。民事判決が新様式になってからは、事実摘示が簡略化され過ぎている(現在、多くの弁護士は判決が新様式になったことすら知らない)。判決の前提となる事実は、判決に摘示された事実の通りであるのか。それとも、裁判官の判断に合うよう事実が都合よく構成されていないか。特に、裁判官の結論に不都合な事実は、無視ないし過小評価されていないか。逆に言えば、さしたる証拠もなく都合の良い事実が認定されているのではないか。判例研究では、これらの点が検証できない。傾いた天秤の下で、事実認定や法解釈が傾くことがある。ジェローム・フランクが夙に指摘しているように、R(Rule)×F(Fact)=D(Decision)ではなく、まずDがあって、その後RやFの解釈が行われるのである。つまり、D=R×Fなのである。「法規範がいかに確定していようとも、判決は裁判所の事実認定によって意のままに左右されるのである」 3
 つまり、傾いた天秤の下でDが先にあって、Dに合わせてFの認定が行われるのである。判決を鵜呑みにしてはいけない。
 代理人の協力が得られるならば、双方の準備書面をお借りして、どんな事実が主張されていたのか。どんな証拠が提出されていたのか。裁判官による事実摘示が適切であったかを確認できれば尚良い。
1 裁判が公平に行われるべきことは言うまでもない。テミスの持った天秤は、どんな時でも誰に対しても平ら(衡平)でなければならない。裁判官の天秤が傾いていれば、救済されるべきものも救済されない。
  天秤が傾けば偏ったFの認定ばかりか、偏ったRの解釈適用が行われる。その典型的な労働事件の例を紹介する。それが本稿の目的である。
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2 小林充・刑事実務と下級審 判タ588-8
3 ジェローム・フランク・裁かれる裁判所・1960年・弘文堂・24頁
 
 当会のメンバーも大幅に入れ替わり、50~60期の若手が主力となっている。今から35年余り前に国鉄(日本国有鉄道)という公社組織があった。その国鉄は、1987(昭和62)年3月31日をもって消滅し、六つの株式会社(JR北海道などの旅客会社)と一つの貨物輸送株式会社(JR貨物)に分割された。いわゆる国鉄の分割民営化である。
 当会のメンバーの大半は国鉄そのものを知らない。そして、分割民営化のプロセスは余程の物好きでもなければ知ることはない。その組織改革(既存の公社組織から新設の株式会社への移行)に当り、労働者の所属する組合による採用差別が行われた。採用は、個々の労働者について行われたが、その労働者が所属する組合によって、大きな差別があった。これが採用差別の問題であり、労働組合法7条1、3号の該当性が問題となった。しかし、司法的救済は与えられなかった。天秤が傾いていたのである。まず裁判所は、Dありきであった。そのDに合わせて、R(国鉄改革法)の解釈適用があった。天秤の傾きは、判決文には出てこなくとも、政治の意向を忖度していることが覗える。しかし、頭のいい裁判官達は、そんなことは噯にも出さない。屁理屈をつけて天秤を傾けたのである。JR採用差別事件は、そんな事件である。判例研究に当たっては、裁判官の天秤が傾いていることも意識のどこかに留めて置かなければならない。そのうえで、裁判官の思考の構造について分析を加えなければならない。これこそが、判例研究の目的である。
 
2 私は、この原稿を書くに当って、
①政府は、分割民営化のゴールと手続きをどう考えていたのか(中曽根弘康・天地有情・1996年・文藝春秋)
②当事者の国鉄当局は、分割民営化をどう受け止め、どう行動していたのか(ア葛西敬之・未完の国鉄改革・2001年・東洋経済社、イ松田昌士・なせばなる民営化・2002年・生産性出版、ウ山之内秀一郎・JRはなぜ変われたのか・2008年・毎日新聞社)
③労働組合は、どう考え、どう行動したか(ア秋山謙祐・語られなかった敗者の国鉄改革・2009年・情報センター出版局、イ六本木敏・人として生きる・1988年・教育史料出版会、ウ二瓶久勝・国鉄闘争の真実・2012年・スペース伽耶、エ松崎明・秘録・2001年・同時代社)
④社会はどう受け止めていたのか(ア加藤仁・国鉄崩壊・1986年・講談社、イ牧久・昭和解体・2017年・講談社)を読み込んだ。
 ①の中曽根元総理は、国鉄の民営化に執着していた。後に述べるように中曽根氏は、国労をまず弱体化し、国労が有力組合である総評(日本労働組合総評会)を弱体化し、総評が支持母体となっている社会党を弱体化させようとしていた。そのため、第二次臨時行政改革調査会(臨調)を立ち上げ、国鉄、電電公社、日本専売公社(いわゆる三公社)の分割民営化を図った。三公社は、中曽根氏の思惑通り、民営化された。②の葛西(後にJR東海社長)・松田(後にJR東日本社長)の両氏は、井手正敬氏(後にJR西日本の社長)とともに国鉄改革3人組と呼ばれた改革派に属する。両氏のア・イを読むと、いかに国鉄当局が分割民営化(特に分割)に抵抗していたかが分かる。ウの山之内氏も国鉄マンであり、民営化によりJR東日本の副社長に就任。民営化の前の国鉄の赤字は単年度で1兆8800億円(一日当り51憶5000万円)、累積で37兆円であった 4が、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州は上場を果たし、株主に配当するまでに至っている(勿論法人税を納めたあとの利益から配当も行っている)。赤字から黒字への転換の経営を述べている。③のアは、国労の企画部長だった秋山氏。同イは、1986年10月の修善寺大会で秋山氏ら執行部を辞任に追い込んだ六本木氏。同ウは、国労の外からの応援団二瓶氏。他方、同エの松崎氏は、国労と一線を画した動労の委員長(JR東日本労組の初代委員長)であった。動労は国労と袂を別ち当局に協力するようになったが、松崎氏はどんな考えから国労と対立するようになったのか。そしてどう行動したのか。④のア・イは、社会やメディアは分割民営化と国労をどう見ていたのかを知る好著である。
 
3 私は、JRの採用差別は、国家が主導した不当労働行為と考えるが、何故、国家が主導する不当労働行為が行われたのに、差別された組合と組合員に司法救済が与えられなかったのか不思議であった。断っておくが、私は国労が組織的に行っていた職務規律違反(順法闘争という名の争議行為、闇給与、闇超過勤務手当、ポカ休、酒を飲んでの
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4 前出②のウ17頁。
 
乗車勤務、管理職などに対する暴力行為など) 5を擁護するつもりは全くない。私は、国労が組織的に行っていた職務規律違反の数々に怒りを覚えていた。国労は、平気で電車にペンキで「国鉄解体」などと落書きをしていた。自分たちの職場を汚していたのである。そして、最大のステークホルダーである利用者の迷惑を考えていなかった。利用者の怒りが爆発して暴動(1973.3上尾駅事件、1973.4首都圏国電暴動事件)まで起きていた。しかし、これらの逸脱行為やモラルの低下と国労の組合員が差別されることなく新会社へ移行する手続が行われたかどうかは別である。今般、①地労委の救済命令(JR北海道につきH1.1.12。北海道地方労働委員会だけでなく、全国で採用差別について他に17件もの地方労働委員会に対する救済申立がなされ、その全ての地労委で救済命令が出ている。) 6、②中労委の再審査における救済命令(H5.12.15) 7、そしてJRの使用者性を否定して不当労働行為を認めず救済命令を取消した③東京地裁の二つの判決(H10.5.28) 8、④東高判(H12.12.14) 9、そして⑤最高裁判決(H15.12.22) 10。また、新会社への採用に差別があったとして慰藉料を認めた⑥東地判(いわゆる難波判決・H17.9.15) 11と⑦東高判(H21.3.25) 12及び最高裁における政治和解(H22.6.28)、(総額199億円の支払で和解、裁判の取下げ)を読み込み、裁判所の天秤が傾いていたことを思い知らされた。特に、①北海道地方労働員会の救済命令は、国鉄とJRの実質的同一性を認定して、JRの使用者性を認めている(各地の地労委も北海道と同様実質的同一性を認めている。)。②中労委の命令は、実質的同一性に触れず、改革法の解釈からJRに不当労働行為の法主体性を認め、採用差別は不当労働行為と認定している。③東地判、④東高判、⑤最判は、新旧両社の同一性の有無に踏み込まず、法律論で決着を付けている。東地判は、同じ日に民事11部と19部から各々判決が出されているが、19部判決は、三菱樹脂事件の最判(S
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5 前出2の④ア214頁。順法闘争が争議行為であり、違法であることについては福岡高判S59・4・23・労判432-48の他多数の判例がある。
6 別冊中央労働時報1071-3
7 労判641-14
8 民事11部判決・判時1644-50。 民事19部判決・判時1644-73
3
9 労判801-37
10 判時1847-8
11 判時1906-10
12 判時2053-127
 
48・12・12、判時724-18)まで引用して、新会社には、採用の自由があるとまで述べている。この理屈は、④の東高判でも使われていた。組織改編に伴う新会社への移行が、新規雇用と同じだというのである。組織改編による移行が新規雇用と同じ訳がない。形式的に新会社へ移行しただけなのに、どうして新規雇用と同じだとなるのか。裁判官は、採用差別に目を瞑ったのである。この感覚は、どこから来たのだろうか。⑤最高裁第一小法廷での意見は、3対2であった。また、⑥難波判決とその⑦高裁判決は、採用差別の実態に踏み込み、不法行為責任を認めているが、③④⑤事件では、小手先の法解釈だけで判決している。③④の裁判所は、何故実態判断に踏み込めなかったのだろうか。①~⑦の概要は、5及び6で詳述する。
 
4 公社である国鉄を民営化するとしても、必要な人員は、新会社に移行しなければならない。また、定員との関係で移行できない余剰人員も出る。余剰人員とされた職員はどうなるのか。体のいい集団首切りである。公社とJRの経営実体に変りがなければ、旧会社と新会社は、同一であり、旧会社の社員が新会社に移行するに当って、所属組合により採用差別があれば、不当労働行為となる筈である。当然差別された組合は、地労委に救済の申立をするだろう。裁判所も不当労働行為と認めるならば、分割民営化はできても、国労潰しの目的は達することができない。では、採用差別を行っても、不当労働行為とならない奇策はあるのか。それを考えた切れ者がいた。たまたま国鉄に出向していたA裁判官(21期・当時総裁室法務課調査役)がトリックを考えた。それは、民営化の前に国鉄の全職員に辞表を出させる。その上で、再就職を希望するか、どのJRを希望するのかを確認する。そしてJR各社の採用の人選を行うのは、スポットで任命された設立委員とする(この設立委員の法的地位や設立委員と国鉄の関係は、大変微妙である)。但し、設立委員は、人選の能力がないので、国鉄に採用名簿を作成させる。設立委員がその名簿をもとに採用、不採用を決め、JRはその結果を承継する。従って、JRは人選にタッチしない。仮に、国鉄や設立委員の人選行為に不当労働行為と認められる行為があったとしても、JRは関与していないので、使用者性がないというものであった(前出2の②のアの261頁)(前出2の④のイの422頁)。この裁判官の構想は、驚きをもって迎えられ、それは国鉄改革法23条となって結実した(末尾にその仕組と改革法23条を添付する)。労働省も内閣法制局もこの法案にOKを出した。この奇策は、国労にとって「究極の悪知恵」だった 13。改革法23条があっても、18の地労委が示したように不当労働行為と認める司法判断もあり得た。政府と当局は賭けに出たのである。そして、18の地労委では全敗したものの裁判所では全勝し賭けに勝ったのである。政府と当局は、裁判所での勝利(ただし最高裁は、辛勝)を予想していただろうと思う。たとえ労働員会で敗訴しても、裁判所で、ひっくり返せると踏んでいたと思う。そうでなければ、こんな奇策を思いついても、法案化する筈がない。特に、裁判所を覆っている空気から、下級審では、A氏の形式論理のトリックが通用すると考えていたと思われる。5で詳述するが、その通りになった。この全敗・全勝によって、労働委員会の権威や信頼は、回復し難い程失われた。情けないのは、社会党であった。見え見えの組合差別をカモフラージュする法案が提案されているのに、効果的なパンチが繰り出せない。そればかりではない。衆議院の特別委員会の採決で反対したのは共産党だけで、社会党は採決の時退場している 14。いざ鎌倉の大事な決戦場で敵前逃亡しているのである。組合によって採用差別は行わないという附帯決議をとるのが精一杯であった。当局にとって、附帯決議など「屁の突っ張り」にもならない。社会党消滅の種は、社会党自身が蒔いたのである。国鉄改革法が成立して、4カ月半後にJR各社が発足した。なお、奇策を考え出した裁判官は、後に、高松高裁の長官となり、退官後、弁護士登録を行い、JR東海の常勤監査役に迎えられた。「国鉄改革3人組」の葛西敬之氏は、JR東海の社長として、A氏の論功に報いたのである。
 
5 救済命令と取消判決の要約とコメント
 ⑴ 北海道労働委員会救済命令(H1.1.12)について
ア 国鉄とJR(承継法人)は、法人格を異にしたとはいえ、事業内容、資産、施設、役職員、労働条件の承継ないし継続などから見て、国鉄とJRは実質的に同一性を有する。改革法23条では、採用者の決定は、設立委員が行う旨定めているが、その実態は、国鉄が、国鉄職員のみを対象として国鉄の作成した管理調書などに基づいて選別しており、設立委員は、その選別結果を追認した
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13 前掲2の④イ424頁。
14 前掲2の④イ472頁
 
に過ぎない(実質的同一性)。営業譲渡や偽装解散の形態をとる不当労働行為事件や法人格否認の法理の適用が争いになった事件では、実質的同一性を判断基準としている。その意味では、地労委の判断方法は真っ当な判断方法である。したがって、JRは、使用者としての責任を免れ難く、被申立人適格を有する。このように、設立委員をクッションに使った奇策は、通らなかった。
イ 組合ごとの大量観察を行うと、国鉄が行った選別には、組合員間差別があり、実質的には整理解雇的措置である。
ウ 国労と他の組合では、顕著な外形的差別がある。にもかかわらず、被申立人(JR)は、その理由を明らかにしていない。
エ 国鉄当局の管理者は、国労組合員に対する嫌悪を明らかにしていたし、国鉄当局からの脱退工作もあった。
オ (結論)
国労組合員を他の組合員と差別して行った不当労働行為である。JRの不採用は、労組法7条1号、3号の不当労働行為である。
カ なお、審査手続きの中で、JR各社は、被申立人資格がないと主張したのみで、個別立証を行わず欠席した。
⑵ 中労委命令(H5.12.15)について
ア 中労委の命令は、⑴の北海道地方労働員会の救済命令に対する再審査の申立のみならず、18の全ての地労委の救済命令に対する再審査申立に対する判断である。
イ ⑴で述べたように、⑴の地労委の救済命令は、国鉄と新設のJR各社の実質的同一性を認めたのに対して、中労委は、国鉄改革法上、国鉄・設立委員・JRは別個の法主体であり、国鉄とJR新会社の間には同一性がないとした15。しかし、設立委員と国鉄の関係において、国鉄は設立委員の補助機関の地位にある。したがって、国鉄の行為の責任は結果的に設立委員に帰属する。そして、改革法23条5項により、設立委員の行為は、JRの行為となり、JRの使用者性を認めたのである。但し、帰責性と使用者性は、完全に一致するのか疑問は残る。
ウ そして、国労組
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15 この構成は、いずれ取消訴訟に移行した時に国鉄改革法を無視できないので、苦肉のそれであるという評釈がある(荒木誠二・国労組合員のJR不採用事件中労委命令の検討・ジュリスト1045-87)
 
合員が当局の切り崩しにより大量に脱退していたこと、国鉄本社の幹部などが国労に対する不利益取扱を示唆する発言があったこと、現場の管理者は、人事評価において国労組合役員や組合員であることを理由に低い評価を行い、他方、国労を脱退して他組合に加入した組合員などを有利に取り扱っていた例が認められたこと、採用率において国労と鉄道労連(鉄労・動労・全施労に国労を脱退した組合員で結成した真国労の4組合で組織した連合体を指す)との格差が顕著であったこと、そのことについてJRから合理的疎明がなかったことなどから、労組法7条1号、3号の不当労働行為に当たると判断している。
 ただ、一部の組合員については、成績上位者を差し置いて救済対象とするのは、不合理であるので、不利益取扱の成立が否定されている。
 このように地労委・中労委とも、設立委員が人選を行い、JRは関与していないという奇策を封じたのである。
 ⑶ 東地判H10.5.28(民事11部判決)判時1644-50
ア 労組法7条の使用者は、一般的に労働契約上の雇用主をいうものであるが、(中略)、雇用主以外の事業者であっても、その労働者の基本的労働条件について雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配決定することができる地位にある場合には、その限りにおいて、右事業主は、同条の使用者にあたるものと解される。しかし、設立委員は、採用候補者の具体的選定及びこれに基づく名簿作成の過程を現実的かつ具体的に支配、決定することができる地位になかったものと認められる。したがって、設立委員は、使用者とは認められない。
 よって、国鉄の行った名簿作りに不当労働行為に該当する行為があったとしても、労組法7条の使用者としての責任は、専ら国鉄が行ったものであり、設立委員、ひいてはJRがその責任を負うべきではない。この判断は、専ら改革法23条の解釈である。
イ また、設立委員の権限は、改革法によって特別に付与されその範囲も法定されているので、国鉄は、設立委員の補助機関の地位にあったという中労委の見解は、採用できない。
エ また、JRと国鉄の間に実質的同一性の法理が適用される理由はない。
オ (ア)  
設立委員は、有力財界人が就任していた。したがって、名ばかりのポストであり、実務的選定能力がない。国鉄が設立委員に代わって選定するしかないのに、判決は、補助機関ではないという。その理由は、手続きの一部を国鉄に委ねたに過ぎないからだという。委ねた手続きの中に不当労働行為という違法な行為があれば、設立委員そのものの責任ではないのか。また、国鉄が設立委員の補助機関であることは、国会審議の政府答弁でも何度も説明されていた 16。立法者意思は、裁判官によって無視された。
(イ)
 何故実質的同一性の法理は適用されないのか。新旧両社の実質的同一性を検証せずして、どうして、承継会社の責任の有無を判断できるのか。この点について、判決は、実質的同一性の法理は、組合壊滅の目的その他違法又は不当な目的に出た場合に適用することを想定している。改革法の立法目的が違法又は不当な目的で行われているとは言えない。したがって実質的同一性の法理が適用される理由はない。こんな理屈はありか。凡そ国会が立法するときに「違法又は不当な」目的で立法するか。また、実質的同一性に疑問があるというが、どこに疑問があるのか。それすら明らかにしていない。
(ウ)  
結局、この判決は、国鉄が戦犯であるが、JRは国鉄の瑕疵を承継しない。国鉄はすでに清算事業団になっている。文句があるならそちらへというのである。このようにして中労委の救済命令は取消された。R(国鉄改革法)の解釈適用だけで判決の結論を導いており、Fに踏み込んでいない。天秤が傾いていた。A氏の奇策のとおりとなった。A氏がほくそ笑んでいる顔が目に浮かぶ。
カ なお、同日出された民事19部判決(判時1644-73)は、紙幅の関係で省略す る。
⑷ 東高判H12.12.14 労判801-37 控訴棄却

 ⑶よりも詳しく国鉄改革法の目的を説き、国鉄と国鉄職員の労働関係はJRに引き継がれず、JRの職員は、設立員が新規に募集することとした。そして、設立委員は、国鉄が作成した名簿の中から採否を決めることができる(実際には、全員名簿のとおり採用されている)が、記載のない者を採用する権限はない。一審(11部判決)と同様の判断である。また、国鉄は、設立委員の補助ないし代行と解することはできない。設立委員には、国鉄による人選の過程を現実的かつ具体的に支配決定する地位になかった。したがって、不当労働行為の責任が帰属する使用者とは認められ
 
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16 西谷敏・国鉄改革とJRの使用者責任・ジュリスト1143-88頁。
 
ない。菅野和夫教授の「近い将来において労働契約を締結する可能性のある者」も使用者に含まれるという考え 17は一蹴されている。また、実質的同一性については、「直ちに適用されるというものではない」としているが、Jrが職員を採用するに当たっては、「企業の採用の自由が広く認められている」ので、黄犬契約以外は不当労働行為が成立する余地はないというのである。19部判決のやき写しである。
  イ 採用差別の実態については、一切言及がなかった。設立委員には使用者性がないし、JRは、誰を採用するか自由だというのである。Fに立ち入らずRの解釈で結論を出している。この仕組みを考えたA氏でも、ここまで、裁判所が念入りにカバーしてくれるとは思っていなかったであろう。
 ⑸ 最判H15.12.23 判時1847-8 
   上告棄却(中労委の救済命令の取消の確定)
  ア (多数意見)
 改革法23条は、国鉄が採用候補者の選定及び名簿の作成にあたり、組合差別をした場合には、専ら国鉄に責任を負わせることとしたと解さるを得ず、設立委員ひいてはJRは、使用者としての責任を負うものではない。
  イ (少数意見)
(ア) 国鉄は、設立委員の提示した基準に従い、名簿の作成作業をおこなった。設立委員会における実際の作業も国鉄職員によって行われた。これらの作業は各々独立の意味を持つものではなく、一連の一体的なものであって、改革法23条により国鉄と設立委員の権限が定めされているからと言って、その法的効果も分断されたものと解することは、余りにも形式論に過ぎる。国会審議でも国鉄は、設立委員の補助者であるとされている。採用過程において、国鉄に不当労働行為があった時は、設立委員ひいてはJRは「使用者」として不当労働行為責任を負う。
(イ) 雇主は、労働者を採用するに当り、採用の自由を有するが、営業譲渡とか新会社を設立して旧会社の主たる資産を譲り受け、労働者を承継するなどの事情がある場合には、採用の事由が制限されることもある。
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17 菅野和夫・労働法(第8版)625頁。なお、筆者の手元に当時の版がないので、第8版を引用した。
 
ウ 最判は、3対2であった。
多数意見は、横尾和子(元労働省OB)、甲斐中辰夫(元検察官)、泉徳治(キャリア裁判官)、少数意見は深澤武久(弁護士出身)と島田仁郎(キャリア裁判官)であった。多数意見は、原審、原々審と同じく、Rの解釈適用で勝負をつけている。私は、紛争の実態を直視する限り、少数意見が的を得ているし、多数意見は、形式論に過ぎていると思う。泉氏は、少数者の権利を救う判決や意見を書いてこられた(週刊金曜日・1172号(2018.2.16))。泉氏は、「一歩前に出る司法」(2017年・日本評論社・228頁)の中でこの判決に触れているが、歯切れが悪い。泉氏は、天秤の傾きを直すことができた。どうして多数意見に同調したのだろうか。「もう一歩」踏み出すことができたならば、1930年代のアメリカ連邦最高裁のニュー・ディール違憲判決に匹敵する判決になったかも知れない。但し、大法廷に回付された公算も大きい。その場合の判決は、予測できない。もっと天秤は傾いたかも知れない。
6 難波判決をめぐって
⑴ 東地判H17・9・15 判時1906-10
本件は、5の⑸の最判が出る以前の平成14年に、JRに採用されず、清算事業団を解雇された国労組合員が、主位的請求として地位確認を求め、予備的請求として違法な不利益取扱は不法行為であるとして損害賠償を求めた事例である。
ア 本件解雇は、3年間の再就職促進を目的とした再就職促進法の失効に伴う解雇であり、合理的理由がある。主位的請求・棄却。
イ 原告らが国労組合員であり、統計資料(国労と他組合の組合員のJR採用率の違い、格差)及び国鉄当局の国労と組合員の対応から国鉄当局は、国労組合員を嫌悪し、名簿に記載しなかったことは、労組法7条が禁止する不利益取扱であると推認される。なお、被告は、原告らの勤務評定上不利益を受けることを相当とする個別事情を明らかにしていない。しがたって、上記推認を覆すことができない。また、国鉄幹部の反組合的言動から不当労働行為意思を認定し、この不利益取扱は不法行為であり、損害として慰藉料500万円を認容した。ようやく不当労働行為性が裁判所によって認定されたのである。この判断は、5の⑶の判決でも可能であった。また、JR各社に採用されたかどうかは証明がないので、採用を前提とする逸失利益などは認めなかった。期待権の侵害も認めなかった。
ウ イで述べたように、5の⑶⑷⑸では、判断を回避された組合差別(不利益取扱)の実態(F)を認めたものである。難波判決は、Fに踏み込んでいるが、5の⑶⑷⑸はFを敬遠していた。難波判決において可能であったなら、5の⑶⑷⑸において不可能な筈がない。政治への忖度がFへの接近を困難にしているのである。名簿の不記載は、昭和61年のことである。また、判決まで18年に及ぶ組合員の生活難やストレスなどが、不利益取扱に起因していることを考えると、500万円の慰藉料は相当だったのかという疑問が残る。
⑵ 東高判H21.3.25 判時2053-127
 この判決は、名簿に載っていれば、JRに採用される相当程度の可能性がある(現に名簿に載った者は全員採用されている。)として、第一審と同じく一人当たり500万円の慰藉料を認め、加えて一人当たり50万円の弁護士費用を上乗せした。その他の論点は、傾いた天秤との関係では、格別、述べる意味はないので、省略する。後に最高裁で政治的和解により和解金が一人当たり2200万円、総額199億円となったことは、民主党政権下であったからこそ可能だったと思う。
 
7 結局、5の⑶⑷⑸は、JRになっても国労の存在は認めない、否、JRになったからこそ国労の存在は認めないという政治判断(中曽根・2の①510頁以下)が先行し、それを慮って、見え見えの不当労働行為を黙認している。⑶⑷⑸は、不当労働行為の有無を判断する前にJRは「使用者」性がないとして国労を切り捨てた。A裁判官の思惑通りであった。最も簡単な判断である。この判断は、政治に迎合した判断である。天秤は、始めから傾いていたのである。しかし、裁判官たちは天秤が傾いても痛痒を感じない。出世にも影響しない。逆に、不当労働行為と認め、組合員の復職を命じたならば、国策を否定する裁判官とみられ将来の出世の保証はない。裁判所という組織は、裁判官個人の良心を越えて天秤を傾かせているのである。また、6の⑴の難波判決は、雇用関係は終了したと認めた上で、慰藉料での金銭解決を図ったのではないか。国労がかつてのように力を持たないのなら、慰藉料ぐらい認めてもよいと判断したのかもしれない。最高裁での和解では、弁護団の尽力もあってか、和解金が4倍にもなった。国鉄(清算事業団)の承継団体(鉄道・運輸機構)は、総額199億円もの和解金を払ったが、それは国労を潰すための経費と考えれば安いものである。応援団の二瓶氏は、2の③のウで、難波判決の慰藉料500万円を「勝った勝った」と絶賛しているが、権力にとって国労を解体するという目的が達成されるのであれば、慰藉料など安いものであることに気付いていない。2で述べたとおり、中曽根元総理は、国鉄の分割民営化の狙いは、国労を解体し、国労が主軸組合である総評を解体し、社会党を弱体化することにあったと公言している(前掲・504頁)。元総理は、2の①の天地有情だけでなく、アエラのインタビュー記事(1996・12・30号、2017・4、5号など)でも、何度も同旨の発言を繰り返していた。国労は、1985(昭和60)年18万7000人強の日本最大の労働組合であった。その国労を弱体化し、総評を解体する。その結果、社会党を弱体化させ、55年体制にピリオドを打つ。これが分割民営化の窮極の目的であった。その通りになった。彼の政治的野心に裁判官達が天秤を傾けて協力したのである。総評は解体され、社会党もなくなった。今や対抗勢力のなくなった自民党の一人天下である。
 
8 国労の対応は、どうだったか。2の③のア~エを読んで思ったことは、国労は、空気が読めていなかった。動労を指導した松崎氏の方が、組合員の雇用を守り、組織を維持した点では賢明だった。組合員の雇用をどう確保するのか。そのためには、どんな行動が求められるのか。権力は何を考え、どんな手を打ってくるのか。それに対抗するには何が必要か。臨調答申(5年以内の分割民営化の提言)➔国鉄再建監理委員会の設置と最終報告(S62.4.1から民営化する報告)➔衆参同時選挙での自民党の圧勝(社会党の凋落)という流れのなかで、絶対反対の方針の見直しが必要であった。ところが国労は悲惨なくらい無策であった。当時の国労企画部長は、当局との解決点を探っていたが、昭和61年10月修善寺大会で強硬派に敗れ、解任に追い込まれた。八方ふさがりのなかで、光明を探っていた秋山氏の無念さが、吐露されている(2の③のア268頁以下)。六本木氏は、修善寺大会で、新たに委員長に選任され、斗争至上主義を掲げ絶対反対を貫いた(2の③のイ63頁以下)。絶対反対を叫ぶのは簡単である。その結果予想される組合員の受ける不利益にどう責任をとるかが問われるのである。どんな責任をとったのか。③のア・イを読んでつくづく思うのは、所与の政治状況(直前の衆参同時選挙で自民党が大勝し分割民営化は既定路線であり不可避であった)の中で、どうすれば国民の支持を得られる運動を展開できるか。どうすれば組合員にとって最悪の事態を回避できるのか、そのためには何をすべきか。将来を見通し、どう行動するかを考える能力は、組合の指導者に不可欠である。その空気が読めない人が指導者になった時、悲劇が生まれる。案の定、国労は孤立化して玉砕した。そして、1047名もの組合員を路頭に迷わせた。今年は太平洋戦争勃発(真珠湾攻撃)から80年であるが、国労の姿は、当時の戦争指導者の姿とオーバーラップする。国労は、1999(平成11)年3月の大会で、国鉄改革法を容認する方針を決定した。しかし、その時は、死屍累々であった。誰の責任なのか。先を読める指導者が必要であることは、どんな組織においても妥当する。
 
9 昨年12月23日、最高裁は袴田事件の第二次再審開始決定申立事件の特別抗告について東京高裁に差し戻す決定をした 18。袴田さんの逮捕から約1年後に「みそ」のタンクから犯人のものとされる衣類が見つかった。衣類に付着した血痕は赤みがかっていた。1年間もみそのタンクに浸かっていたのに赤みが残るのか。それを高裁に調べ直すよう差し戻したのである。東京高裁では、改めて鑑定をやり直すであろう。相当時間を要することは確実である。現在84歳の袴田さんは、存命中に雪冤を晴らせないかも知れない。第一次再審請求の特別抗告審での最高裁調査官は、渡部保夫氏であった。渡部氏は、私の刑裁修習の指導官で優れた著作が多数ある 19。同時期やはり最高裁調査官であった木谷明氏は、渡部氏から、「木谷さん、この事件は有罪です。もしこれが無罪だったら、私は首を差し出しますよ」と言われたとい
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18  ⑴最決R2・12・23・刑集328-67、季刊刑事弁護106-99
 
⑵袴田事件については、高杉晋吾「袴田事件・冤罪の構造」(2014年・合同出版)、秋山賢三「裁判官はなぜ誤るのか」(2002年・岩波書店)93頁以下、里見繁「冤罪をつくる検察、それを支える裁判所」(2010年・インパクト出版会)153頁以下。
19渡部保夫氏の人柄や業績については、「刑事裁判ものがたり」(初出1997年。2014年日弁連法務研究財団から復刻されている)の末尾に木谷明氏の解説がある。著作は、「刑事裁判の光と陰-有罪率99%の意味するもの」(大野正男との共編・有斐閣・1989年)、「病める裁判」(伊佐千尋との共著・文藝春秋・1989年)、「無罪の発見―証拠の分析と判断基準―」(勁草書房・1992年)、「刑事裁判を見る眼」(岩波書店、岩波現代文庫・2002年)など多数。
 
20。渡部氏程練達な裁判官をもってしても、天秤が傾くこともあるのだなと思い知らされた。ただし、木谷氏の記述は、証拠開示が制限されている中での「天秤を平らに保つことは難しい」という趣旨である。
 もう一つ天秤が傾いていたエピソードを紹介する。松川事件という大冤罪事件があった 21。被告人のうち、一審で死刑5人、無期懲役5人、懲役15年から3年6月までの有期懲役10人という大変な列車転覆致死事件であった。控訴審で被告人が「どうか公正な裁判をお願いします」と最終陳述を行った(刑訴規則211条)が、裁判長は、「裁判は公正なものに決っとる」と答えたという 22。被告人は、天秤を平らにして証拠を読めば、無罪しかないと訴えたのである。ところが、その裁判長は、原判決を破棄したうえで、4名を死刑、3名を無期懲役などに処した。この控訴審判決は、最高裁で破棄され、差し戻し審で全員無罪となった23。「公平なものに決っとる」と答えながら死刑を宣告した裁判長の天秤は、最初から傾いていた。
 
おわりに
 天秤が傾いた判決は、JRの採用差別事件や袴田・松川事件だけではない。実は多数のトンデモ判決がある。逐一紹介することはできないが、日本の裁判の構造的欠陥(裁判官の属人的欠陥に止まらない制度的欠陥)といっても良い。この小論が皆さんに、日本の司法制度に構造的欠陥があることを考えるきっかけになれば幸いである 24
 
最後に、この小論は、原稿依頼の趣旨から相当ずれたものになったことをお詫びする。なお、本稿は、道幸哲也監修「人事・労務管理の『相談です!弁護士さん』Ⅰ」(株式会社労働調査会・2021年11月12日初版)の拙稿を加筆訂正したものである。
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20 季刊刑事弁護79-91
21 ①福島地判S26・1・12・裁判所時報75-2、②仙台高判S29・2・23・判時16-1、③最判大法廷S34・8・10・判時194-10
22 青木英五郎 「日本の刑事裁判」(1979年・岩波書店)172頁
23 仙台高判S36・8・8・判時267-7
24 裁判官が何故誤判するのかについては、日弁連「誤判原因に迫る」(2009年・現代人文社)や小田中聰樹他編「誤判救済と刑事司法の課題」(2000年・日本評論社)などのいくつもの大部な著作があるが、まずは、秋山賢三「裁判官はなぜ誤るのか」(2002年・岩波新書)と木谷明「無罪を見抜く」(2013年・岩波現代文庫)を読んでもらいたい。いずれも筆者は元裁判官で、体験のなかから、真実発見のツールを見つけ出そうとしている。両書を読むと誤判の構造に気づくだろうと思われる。
 
傾いた天秤(添付資料).pdf